「人を動かす人」になれ! 読んだよ

「人を動かす人」になれ!―すぐやる、必ずやる、出来るまでやる

久しぶりにゆっくり本を読む暇ができた…というより少しまとまった時間が取れたのでちまちまちまちま読んでた本を読了したという感じ。

ちょっと極論っぽい論調もないでもないが、噛み砕いていれば至極当然のことを言ってるように思う。
技術者が経営者や会社の目線で物事を考えるのには良い本なんじゃなかろうか。


しかし日本電産ぐぐると関連キーワードでブラックって出るようになったな(ぉ
前から言われてたのと例のニュースの相乗効果だろうけど、実際違反があるなら労基署が黙ってないでしょ。そんな文句噴出するなら内部から何か出てくるだろうし、従業員何人いると思ってるんだか。
ワークライフバランスってのは自分の身の丈以上のプライベートを求めることじゃないと思うけどなぁ*1
財務データ見ても同程度の規模の会社と比べてそんな妙なとこないしなあ。


こんなエントリ発見。
http://d.hatena.ne.jp/yomotsu-hirasaka/20080428/1209373065
http://ameblo.jp/hoeler2008/entry-10092392502.html

*1:もちろん労働と成果に見合った報酬が支払われるのは当然だが

変わる日本語 読んだよ

変わる日本語―現代語は乱れてきたか (講談社ゼミナール選書)
祖父の本第二弾。
金田一春彦とか外山滋比古とかの国語学者の講演録みたいな本。
30年近く前の本だが「最近の日本語は乱れてきた」とか「ら抜き言葉」とか「ペットに餌を『あげる』か『やる』か」なんて話はもうこの頃からあったというのはなかなか興味深い。愚者は経験から学び…ってとこだろうか。ちょっと違うか。

要は乱れたというなら乱れの基準は何かという点に立ち返ると乱れていないという話になる、意味が通じないという問題があるかというと高学歴化によってそんなこともなくなりつつある、という話。

むしろ高学歴化によってもたらされたのは略語と難しい言葉の二極化と外来語かぶれによる言語感覚のふくらみの衰退なんじゃなかろうか。ああこの文章もよく分からんな。

「お父さん、こないだ学校でね、この問題について最終的総括のための討議集会がもたれたんだよ。そこで開放的に意見が述べられてね、集約した結果、結論的に現段階におけるこの方針の妥当性が確認されたわけなんだ」


「みんなで寄り合いをやって、まとめてみようじゃねえか、あけすけにしゃべろうじゃねえかってんでしゃべってみたんだ。煎じ詰めるとやっぱり、いまのところはこれしかねえって、そういうところで落ち着いたんだ」

とか

「おめえ道楽はなんでえ」「おれの道楽は女郎買いだ」


「ご趣味といたしましてはどのような方面で」「趣味は接客婦に相まみえることであります」

とか、まあこれは極端だがわろた。
当時は和語から漢語かぶれへの過渡期で今は英語と造語かぶれの過渡期なのかもしれない。


前の本もそうだが古い日本語系の本を読んでみたのは日本語が亡びるときを読みたいなと思ったのでその前に古い話もという理由だったのだが、なんかこの本を読むと日本語が乱れてきたというのは年寄りとか一部の識者の経験的なものでいつの時代でもあるんだなあというのがだいたい分かった。最近の若いもんは理論ですな。

どっちかというと日本語が亡びるときはグローバリゼーションと情報化社会の中での情報に占める言語の割合という観点からマイノリティである日本語は亡びるんじゃないかという話のような気がしてきた。まあ気が向いたら読もう。

ニュースあれこれ

長渕DVD

引っ越しでさすがに家にあるCDを全部持って行くわけにはいかんので、まだリッピングしてないやつをリッピングしまくり。
だいぶ前に買った抱き合わせアルバムもHDDが飛んだときに消えたのでリッピングし直したんだが、そういえば一緒に入ってたライブDVDを見ないままほったらかしにしてたので見てみた。収録曲は「おいで僕のそばに」と「愛してるのに」。
最近のライブのノリはあんまり好きじゃないなぁ。YAMATOの頃はまだ良かったが。