20歳のときに知っておきたかったこと 読んだよ

20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義

今年初読了。
日々の仕事に追われてるとなかなか思い出せないこの感じ、長い正月休みにじっくり読めたのはよかった。

pp.39--40
快適な生活を捨て、遠い異国の地で難題に挑もうという人は、そうそういないでしょう。でも、わたしたちははるかに小さな問題を、おなじように大変だと思っていることが多いのです。職を変えることや、街の反対側に行くことすら、慈善活動をするために見知らぬ土地に立つのとおなじくらい、リスクの高いことだと感じています。不確実性の高い選択をするよりも、「そこそこいい」役割に安住した方が、ずっと快適です。

新しいことに挑んでも、挑み続けないと気づかない間にそこが安住の地になり、閉鎖的になってしまうのは往々にしてある。それが足の引っ張り合いになったりするともう厄介なことこの上ない。

p.114
考えてみると、リスクは基本的に五種類に分けられるようです。身体的リスク、社会的リスク、感情のリスク、金銭的リスク、知的リスクです。

挑戦を妨げる要因としてリスクをさらに細分化する。自分がどのリスクが平気でどのリスクが苦手かを分かっていればリスクを取る際の判断がだいぶ楽になると思う。

p.118
「自分は、自分の会社と一体ではないし、製品と一体でもない。往々にして同一視しがちだが、失敗したからといって自分が失敗したわけではない。あるいは成功した時ですら、自分の成功ではない。(後略)」

後半の一文が強烈。成功にも慢心することなく適切なリスクテイクが大切というのは、イチロー

「僕は天才ではない。なぜなら自分がヒットを打ったときなぜ打てたのかを説明できるからだ」

という言葉にも通じるところがあるような気がする。

p.129
身近な人たちは、キャリア・パスを決めたら、そこから外れないよう期待するものです。照準を定めたら、あくまでそれを追い求める「うちっ放し」のミサイルであるよう求めるのです。(中略)自分にはこれしかないと早いうちに決めつけてしまうと、行き先を間違う可能性が高いのです。

「自分にはできないと思うこと」はちょっとはやってみても早々と見切りを付けるのだが、「自分にもできるんじゃね?と思うこと」にはついつい手を出してしまう。そして中途半端に器用貧乏なせいでそこそこうまくいったりして、キャパオーバしてしまうことも結構あるのが個人的には困りモノ。ただそうは思っていても全然違う分野の興味や知識が思いもかけず役に立つという経験も往々にしてあるのでそこのバランスは非常に難しい思う。それでも思い返すとこれまで自分が周りも巻き込んで一番動けている時というのはだいたい自分の中の枠を取り払ったときなので侮れない。

p.140
「幸運なんてものはないよ。すべては努力次第だよ。」

ブレアウィッチの

努力した者が全て成功するとは限らないが、成功した者は全て努力している。

という言葉を思い出すと同時に、今途中まで読んでる正義の一節も思い出した。確かに努力は大事だし、努力してこそ同じチャンスを見つけたときに掴めるというのは否定はしないが、努力できる環境、才能、あるいは努力が報われる場所や時代という広義の「運」も同じくらい重要だと思う。「あなただからできたんだ」という周りの言葉を、大多数は実際にそうなのかもしれないが、すべて努力しないことの言い訳として排除してしまうと本質が見失われる気がする。時と場所、環境に恵まれたことを認識したうえで最大限の科学的努力をして初めて

p.141
「努力すればするほど、運はついいてくる」

という言葉が生きてくる。

p.178
残念ながら、わたしたちは誰かの負けと引換に自分が勝つ状況に慣れすぎているので、人助けの習慣を身につけるのは並大抵のことではありません。

これも耳の痛い言葉。Giveの5乗という言葉はあまり好きではないが、見返りを求めずに与えることの重要性を端的に示した言葉だと思う。自己満足にならず、真摯に与えるということを実践できるようになりたい。



史上最強の人生戦略マニュアル以来くらいのヒット本だった。