「大発見」の思考法 読んだよ

「大発見」の思考法 (文春新書)

iPS細胞の山中伸弥教授と、ノーベル物理学賞益川敏英教授の対談本。


益川さんの講演会で出てきた内容もちらほら、というか本書でだいぶ語られてる気もする。
科学疎外(p.56)、名古屋で科学がつくられている(p.64)、フラフラのすすめ(p.72)、科学を勉強する原動力は「憧れ」(p.90)、科学遊びではなく本当の科学を(p.177)などなど。


最終章の神とエセ科学の話には色々考えさせられる。

pp.181--183
科学離れも、エセ科学の蔓延も「科学疎外」が引き起こした弊害です。特に始末が悪いのは、エセ科学の蔓延です。昔、ユリ・ゲラーという男が日本中に超能力ブームを巻き起こしたことがありましたよね。
(中略)
物理をかじった者なら当然、「そんなこと起こるはずがないだろ!」と言うべきです。
(中略)
「自分の目で見たこと以外は信じるな」とよく言われますが、見たことを無批判に受け入れてしまうのは危険ですよね。
積極的無宗教のすすめ
(略)物理学者の武谷三男先生は、「目で見えるものほど不確かなものはない」とおっしゃっています。ある現象を、ただ漠然と見ているだけではいけない。細かく観察した上で、信じるか信じないかを決定すべきだ。

超能力を信じてしまう人ですら物理学の教授になってしまうエセ科学ブーム。況んや一般人をや。「自分の目で見たこと以外は信じるな」というのも裏返せば、「見てしまったら信じてしまう」というのが大多数の実情じゃなかろうか。目の前で実演される怪しい商品から、一流と言われる大学をでた科学者がオウム真理教のようなカルトに騙されてしまうような話まで、根本はそういうところにあるような気がする。

pp.184--187
僕が積極的無宗教なのは、「神」というのが、自然法則を説明するときによく出てくるからです。たとえば「雪の結晶には一つとして同じものがない。実に不思議だ。なぜこんな者が存在するのだろう」と誰かが言ったとき、「神様がお作りになったのだ」と、神を引き合いに出して説明するのが、一番手っ取り早い。
(中略)
「神がそういう性質を与えた」「神がそう決めた」ということにすれば、とりあえず問題は解決したように思えます。
(略)
せっかちに答えを求めなくても、「これは未来の問題として残しましょう」と言えば、それで済むはずなのに、今すぐ白か黒か割り切ろうとするから、神様の所に行くしかなくなってしまうんです。
僕が言う積極的無宗教とは、「雪の結晶は神様がお作りになったのだ」という人に対して、「その答えを神様に求めなきゃいかんほど、あなたの理性は単純なのですか?それくらいの答えだったら、いくらでも考えられますよ」と、異議を申し立てることなのです。

「神様」を「超能力」「超常現象」「オーラ」「波動」…みたいな胡散臭い言葉に置き換えても成り立つ。神様に答えを求めた時点で思考が停止する。その結果が不必要に大げさな感情論、時代遅れのKKD、そして科学疎外につながっていく。
人類は「宗教」に勝てるかだかに書いてあったが、宗教というのは人類社会がまだ未熟なときの拠り所としての意味合いが強い。いつまでも古い杖につかまっていないで自分の足で立つべきところまで来てるんじゃないのかな。




その他引用と感想。

pp.78--80
直線型の人生と回旋型の人生
日本人は直線型思考の民族で、よほどのことがない限り、いったん入った会社は辞めないし、奥さんを途中で替えたりもしない。それと違うことをすると、「人生の落伍者」のように思われ、自分でもそう思ってしまいます。
ところが、アメリカで暮らしてみると、回旋型の人生を送っている人がたくさんいます。
(中略)
直線型の日本の場合は、たった一度のつまづきによって、人生が大きく変わってしまうんじゃないかな。そこで挫折感を感じてよそに言ったら、それだけで自分が人生の落伍者のように感じてしまう。

日本人の人生にダイレクトに関わっている価値観。リスクを取る人を支援できるような仕組みが不十分だから、一度の失敗を自他共に許容できないような空気が蔓延してるんじゃなかろうか。それが今の閉塞感を作ってる気がする。

p.119
リーダーには二つの意味があると思っているのですが、一つは、組織全体をまわしていくリーダー、つまり「チームリーダー」です。もう一つは、ここの研究で中心的な役割を果たす「ゲームリーダー」です。

技術者を正しく評価できるのはある意味では技術者しかいない。ただ良い技術者が必ずしもよいマネジメントをできるとは限らない。技術が高度になっていくほど分業化が進むが、分業化した理論と技術を正しく評価してマネジメントする知識がチームリーダーには求められる。スペシャリストとジェネラリストの話に似てるな。

pp.140--143
アメリカでは、色んな意味で研究者がハッピーになるシステムになっていると思います。2010年に「ネイチャー」誌が「科学者の幸福度」というのを調査したら、、日本は最下位だったといいます。科学者に限らず、最近は日本人全般の幸福度も低い。
(中略)
日本では人から「落伍者になった」と思われるんじゃなくて、本人が自分でそう思っちゃうんですね。
(中略)
もともと研究者のモチベーションは基本的にお金じゃありません。(略)でも、せめてその生活をもう少し安定させて、奥さんも安心して子育てができるくらいの環境にしてあげなくてはいけない。科学立国といいながら、それすら出来ていないのが日本の現状です。

科学者の社会的地位、ポスドクの問題など根は深い。科学の恩恵を当たり前のように受けているから科学的態度の重要性が分からなくなっていく。これも科学疎外か。


pp.144--146
やっぱり一番を目指さなければダメ
最初から一番を目指さなかったら、結局、二番、三番どころではなくなってしまうのではないでしょうか。最初から志を高く持たずに、良い結果が生まれるはずがありません。
もう一つの問題は、「なぜ一番でなければいけないんですか?」といった議員は、今、日本が何番なのか知っているのか、ということです。(略)確かに日本は、六、七年前まで、コンピュータの処理能力は世界で一番でした。ところが2009年には、なんと三十一位まで落ちているんです。

企業の開発なんかだとある程度、80点なら80点をコンスタントに出していくというのが求められるのは仕方ないが、アカデミックなところではもっと突き抜けた一番を目指すような研究をして欲しい。目先の利益の追求だけに予算を出してるようじゃちょっとなあ。

p.203
実際に、「超能力」や「宗教」に逃げてしまう科学者もいるわけだけれど、僕らはそんなものには決して与しない。壮大で奥深い自然に大して、しっかりと目を見開き、耳を傾ける―。自然から教えていただくという謙虚な気持ちを、ずっと持ち続けていきたい物ですね。