希望のつくり方 読んだよ

希望のつくり方 (岩波新書)

希望とはなんだろう。困難の中に見いだすものであるならそもそも希望なんてない方が理想の状態なんだろうか?
…というようなところから、いろいろな宗教における希望、なぜ希望が失われているのか、といった話が並ぶ。


夢、幸福、安心、希望は似ているようで違う。衝撃的だったのは、

p.29
過去の何十年にも及ぶ新聞記事のなかから、希望という言葉とつながりを持つ言葉を検索していただいたのです。
どんな言葉が出てくるのだろうと待っていたとき、最初に現れたのは意外なものでした。
それは「水俣」という言葉でした。

というくだり。希望と絶望は隣り合わせ、あるいは紙一重なんだろうか。

p.140
「絶望は虚妄だ。希望がそうであるように」

苦しい状況の中に希望を見いだすことは大きな原動力になることもあるが、逆に疲弊してしまうこともある。認知的不協和のような状態で漠然と希望だけを唱えていてもいずれ潰れてしまう。
その紙一重さは「希望の両義性」としても語られる。

pp.145--148
以前から女性の活躍がめざましいと評判を得ていたその会社でしたが、実際のところ、優秀な女性が次々と辞めていくことに危機感を抱いていたのです。(略)
あるとき会社の調査担当者は、辞めた理由は、結局は大きく二つに集約されることが分かったのです。
一つ目の理由は、「このまま会社で働いたとしても、先が全く見えないから辞めた
というものでした。(略)
では、もう一つの理由とは何だったのでしょう。それは、「このまま会社で働くことに、先が見えてしまったから辞めた」というものでした。(略)
これら二つの理由は、実に対照的です。しかし共通するのは、彼女たちが(略)働く希望そのものを失ったということでした。将来がまったく見えないとき、人は希望を失います。同時に、将来が見えてしまったと感じるときにも、やはり希望は失われるのです。

そこで希望とは何かという定義に立ち返ってみると、将来の不確実性の中にありながらも原動力となるような意味が見えてくるような気がする。
Hope is a Wish for Something to Come True by Action.


そして本書の中で特に印象深かった話は「ウィーク・タイズ」という話。
仕事に希望を持つ人の特徴として、職場を離れた、家族でもない友人・知人が多いことが例に挙げられている。
確かに何かしら困った時なんかは、家族よりも、よくつるんでいる友人よりも、忘れた頃に連絡を取り合う程度の友人の一言に救われることが多いような気がする。そういう友人とつながる機会は年に数回くらいだったり、数年に1回くらいだったりするのだが、不思議と的確なアドバイスをもらえたり、自分の状況をよく把握してくれたりする。
逆を考えてもまあ何となく思い当たる節はあって、身も蓋もない話をすれば、あまり情に囚われすぎず、客観的な判断ができるし、普段会わない分、相手の長所を純化させたイメージを持っていて、それをうまく活かして話が出来たりするからじゃないだろうか。
まあ家族や近しい友人ももちろん大事ではあるけどね。


先の見えない時代にはこういう本を読みつつちょっと腰を据えて考えてみるのも良いかも。