新婚旅行日記(18)マチュピチュ遺跡 前編

入り口の石垣を越えて視界が開けると、眼下には写真でよくみるあの風景が広がっている。

周囲は雲が多いが市街地は結構綺麗に見えた。


リャマもお出迎え。人に慣れていておとなしく、普通に触ることができる。元々はチリの観光会社がPR用に連れてきたらしい。

こっちみんなw


段々畑。ちらほらとリャマの姿が見える。

テンションが上がって市街地の写真を撮っていると、ガイドさんが「もっといい場所がありますよ」と階段を上っていく。

お分かりいただけるだろうか、石垣に階段ができている。組む段階から計算していないとこれは作れんなあ。

遺跡の小高いところには、来客を泊めたという場所がある。もともとは屋根もあったらしい。

見張り小屋。人がわらわらいる。


そしてもっとも定番と言われる遺跡が一望できる場所へ。

絵になるおねーちゃんが石垣に座って撮影していたが、通り道以外の石は観光向けの固定はされておらず、崩れたら落ちて死ぬよとガイドさんが教えてくれた。このおねーちゃんにも注意していた。ちなみにここ20年で10人くらい滑落死しているらしい。

入り口入ったところの写真ではもう少しよく写っているが、この写真のほぼ中央にワイナピチュという峰がある。


だんだんと市街地にも雲がかかってきたが、しばらく待っていると雲が晴れ、ワイナピチュもよく見えるようになった。


ワイナピチュの上にも遺跡があり、なんと1日の人数に制限はあるものの、観光客も上れるらしい。確かにカメラをズームしてよく見ると人影がみえる。

鳥がいた。


続いて広場に降りていく。儀式の石とよばれる、階段状に切られた石。


そのまま市街地入り口へ。

上に3トンもの石が渡された市街地の門。上と左右には出っ張りと窪みがあり、ここに木を結びつけて扉を取り付けていたらしい。


街中の石垣は緻密に作られており、所々に排水用の穴が設けられている。


元々三角の屋根になっていたという居住区。なんと二階建てだったらしい。二階の床は木の板を渡して作られていたそう。

屋根を縛り付けるための出っ張りがある。復元された屋根も。

壁には窓。開いていない窓のようなものは物置らしい。

家と家の間にも排水路がある。

家の入り口から道を隔てて向かいにあるこちらは台所。火を使って住居に燃え移ると大変なのでこういう配置になっているらしい。

竈の上には自然の大岩がそのまま配置されていて圧巻。


次の場所へ移動。ここにも石でできた階段が。

石切場。年月が経って縦や横にヒビが入っている。

なんかの石組み。クスコにあったインカの石壁同様、こちらも緻密。


そしてこちらが主神殿。

さすがの石組み技術も年月が経つとこのように崩れ…ているのだが、この崩れは地殻変動による地盤の変化が原因らしい。それくらいでないと崩れないという技術のすさまじさ。

それもそのはず、主神殿の壁はずれが生じないよう、1個の大きな岩を内側から見たときと外側から見たときで形が違うように見える切り出し方をし、石と石がかみ合って動かないように作られている。



整然と組まれた石。対称形になっている。

相変わらず凝った角。

先ほど通ってきた段々畑、見張り小屋、石切場などが見える。

そして向こうの山にはインカ道という道が通っている。

はるか山の向こう、オリャンタイタンボからずっと続いており、トレッキングルートとして3泊4日くらいかけて歩いて来る人、巡礼者などが絶えないらしい。こういう道を通り、インカの人たちは遠い山から大岩を運んできたらしい。


後ろにあるワイナピチュの形を模した石。

そして天文台の上にあるインティワタナ(日時計)。

不思議な形に加工されている。

ここらでマチュピチュに入ってから1時間ほど。なかなか疲れてきたがようやく折り返し地点。次はいろいろな神殿や居住区の並ぶエリアへ。