去年の12月に父が亡くなった。ちょうど1年が過ぎたところなので記録しておく。
別にリアルタイムで書くのが憚られたわけでもなく、筆不精の延長で他意はない。
認知症騒動
事の発端は2022年の秋頃、母から「父が認知症かも」という相談を受ける。
状況はというと、父が毎月生活費を下ろして母に渡していたのが「年金が振り込まれる月だけだったよ」と2ヶ月に1回しか渡されなくなった、とのこと。
そんなもん通帳確認して認識合わせすれば良さそうだけど、母は「認知症の人の話を否定してはいけない」という考えがあってなかなか言い出せない、ということで帰省したタイミングで様子を見ることに。
年末に母から「父の変な言動に驚かないで」という言葉を聞いて帰省したものの、様子を見ていても会話は普通に成り立つし、奇行もなければ物忘れも加齢相当のもので、指摘すれば忘れてたことを認識してるし、特に異常にも思えない。強いて言えば多少睡眠時間の乱れはあるけど、それ以外は普通だった。
それでも心配な母が主治医に相談して認知症検査とMRIを受けたけど異常なし、というお墨付き。
年末から出産で里帰りしていた妹も3ヶ月ほど実家で観察してたけど、まあ加齢でしょという意見で一致。
翌年春頃、去年まで「車は今ので最後にする」と言っていたのに新車購入を検討してるらしい。
まあ安全装備無しの車よりはサポカーの方が安心かな、と止めはせず、メーカーによってはうちの会社の紹介制度があるから決まったら教えてねと伝える。
4月末のGW帰省時、会話も特に問題無し。ただ夜中に起きてくる回数が多くなったのと、むずむず脚症候群らしき症状があるというのがちょっと気がかり。夜中に起きてきてテレビをつけて数分でまた寝に行く、かと思ったらまた数十分後に起きてくる感じ。
そういえば車はどうするのかと聞いたらもう頭金を払ったとかいう。年金暮らしだからローンを組む理由もなく、頭金?手付金?契約はいつ?と聞いてもちょっと回答が判然としない。んん?
連休明けてしばらくの5月半ば、もう一度認知症検査にこぎつけた母が付き添いで病院に行くときに、父が道に迷ったり別の病院に向かったりしたとのこと。
そして検査では今何月か、ここはどこの病院か、などが答えられなかったらしく、グレー判定で翌月再検査ということに。
この状況で車買い替えはさすがにリスキーだろということでディーラーの連絡先を聞いて問合せたら4月に契約済みという。
一応父にも確認して、検査結果で大丈夫なら改めて注文しようと言いくるめてキャンセルすることに。
事情が事情なので、若干ダメ元で注文を取り消せないか相談したら最初は難しそうという回答だったものの、幸運なことにまだ製造割当が決まってなかったらしくキャンセル可能で頭金も戻ってくることに。ありがとう半導体不足…!
6月、LINEの既読がつかなくなる。
母から聞く父の行動も完全にアウトな感じで、雨の夜に仕事に行こうとする、服がちゃんと着れない、車のエンジンが切れないと言ってJAFを呼んだけどキーを逆向きに回そうとしていただけだった、など。車のキーは母に隠してもらった。
認知症の再検査もアウト。診断はレビー小体型認知症というやつで、アルツハイマーと違って初期は物忘れもそこまでひどくはなく認知機能の低下が目立たない場合があるのに加え、ボンヤリ期とシャッキリ期の波が結構あるとのこと。
脳内にレビー小体というタンパク質が溜まって神経細胞を傷つけることで起こる病気で、病変の位置などもCTやMRIでは分からないらしい。
レビー小体型認知症という病名も初めて聞いたけどアルツハイマーに次いで2番目に多いタイプで、血管性認知症とともに三大認知症と呼ばれるものらしい。
代表的な症状で便秘や睡眠障害もあるらしいとはいえ、便秘だから認知症を疑うかというと、知っててもかなりハードルが高い気がする。
機械音痴な母にどうにかLINEを使えるようにして、タイプライター以来という文字入力で父の状況を報告してもらうようにした、農薬をキッチンの洗い桶に移し替えたりするとのことで、目を離すと心配な行動がかなり増えてきた印象。
俺と妹が揃って「思い過ごしでしょ」と判断し、病院での検査でシロだった時期からわずか半年で誰が見ても認知症な状態まで進行してしまった。
異常行動・徘徊と救急搬送
7月に入ると夜中にスマホの使い方が分からんと母を起こしたり、トイレに行ったと思ったら戻ってきて寝室でズボンを脱いだり履いたりを繰り返したり、寝室の電気を着けたり消したりして母が寝られんという状況に。
ある時は朝は7時に起きるなり自転車でどこかに出かけようとして、母が聞いてもどこに行くか言わない。
1時間経っても戻ってこないので近所を探しても見つからず、2時間以上経って汗だくで帰ってきたと思ったら元職場に行ってたと言うらしい。出勤…
またある時は俺に手紙を書くといって2日連続辞書を買ってきて支離滅裂なことを書いていたらしい。
このあたりから介護認定や施設について調べ始める。といっても大方妹が母とやりとりをしながら調べてくれた。
介護認定も割とすぐに日取りが決まったと思ったら、認定調査の日程を決める日取りで、調査は2週間以上先だった。高齢化社会…
そうこうしていると仕事中に父から電話があって何事かと思ったら「免許返納したほうがええかなあ?軽を買おうかと思ってるんやけど」と仮にも父の同意を得て注文取り消したことも忘れてる模様。
返納を勧められたことは理解してるっぽいのであと一押しかと思ったけど、母が話しても「車は絶対に売らない」と言ってるらしい。
さすがにフォローしたほうが良いかと思い、弾丸帰省して父の様子を見に行くと、実家に着くなり「最近墓参りに行ってないから行ってほしい(そもそもまともな頃から数年行ってないし最近話題にも出てない)」とか「プリンタのフタが開いてるから閉めといて(開いてもついてもいない)」とか脈絡のないことを言うし、その瞬間の会話は成り立たないことはないけど数分すると忘れてるレベル。
時々車のことを気に掛けているような発言をするので、そのタイミングで免許返納か車手放すかの相談を切り出したら血相変えて「絶対ダメ!」という。ちょっと剣幕の違いにびっくりした。母が「お医者さんにもやめときって言われてるでしょ」と言っても「それは作り話や」と言う。
直接話して一押しすればいけるかと思ったけどこれは無理そう。
それならばと「車の出し入れするたびに俺が車庫入れしに大阪に来るわけにもいかんから、とりあえずしばらく預かろうか?」と言ったらそれはOKらしく、あっさり了承。とりあえず一番心配な車を物理的に引き離すことに成功した。
帰ったあとに「悠太はタクシーで帰ったのか?」とか言ってたらしいけどいつまで納得していてくれるか…という感じだった。
7月末、また朝から自転車でどこかへ出かけていった父が家から5km以上離れたところで熱中症でぶっ倒れて通りがかりの人に通報され、救急搬送される。
幸い大事には至らず、メガネを壊したのとちょっと痛々しい見た目になったくらいで済んだ。
要介護認定とグループホーム入居
支援センターなどあちこちで相談したり情報を仕入れた結果、レビー小体型認知症というのは数週間で急激に進行する場合もあるらしい。アルツハイマー型でも早い人は早いから個人差がすごいとのこと。
ところが認定を受けるために受診した新阿武山病院の担当医がクソだった。
上記にも書いたように半年で急激に進行したのに「そんな急には進行しない」とこちらの説明には聞く耳持たず、支援センターではグループホームを勧められたのに「いきなりグループホームに入るなんてことはしない、普通はデイサービスからだ」と上から目線。
あまりに信用ならないので介護認定申請に必要な意見書をなじみの病院の主治医に頼むことにしたら「自分が書かないと低い介護認定しか出ない」と脅してくる始末。
幸い脅しは虚偽だったようで、無事に要介護認定が下りた。
医者も大変なのかと思ったが、支援センターの職員さんも「別の先生は最新の治療にも詳しいし、講演会にもよく出席するが、あの先生は…」と言葉を濁し、後に診察に同席してくれたグループホームの職員さんも「あんなに人の話を聞かない先生は初めてだ」と言っていた。
父よりも年上なあの医者はおそらく認知症疾患診療ガイドライン2017を知らないのではないかと思った。
そんなこんなでお盆休みに帰省して父の様子をみつつ、お盆明けにグループホームに入居することができた。
母がとにかく父と衝突を避けようと、認知症疑惑の初期からあまり正面切って父と話をしていなかったのでどう説明するのかと色々作戦会議をしていたが、結局「介護保険で入居体験ができるから行ってみよう」みたいな謎の説明をして連れ出し、施設で昼食を食べている間にこっそり帰ってきたらしい。なんやそれ。
グループホームの日々
認知症疑惑から1年と経たずにグループホームへ入居。
入居当時はパーキンソン的な症状も出ていて、すり足のような歩き方だったり、首が思いっきり下を向いていて仰向けに寝ても首が浮いてるような状態だったが、しばらくすると治まってきた。
実家では間食しまくって食事もあまり食べないことがあったりしたようだが、グループホームでは規則正しい食事だったおかげもあってか、だいぶ体型もスマートになっていた。
面会も比較的柔軟にさせてもらえて、連休で帰省するたびに子どもたちを連れて会いに行った。
認知症は進行しているようで、子どもたちの顔は覚えてくれてはいるものの、あまり会話は成り立たない。
普段もちょくちょくトイレを失敗したり転んで怪我したり施設の壁紙を剥がしたりしていたらしいが、入居して1年ほどは概ね穏やかな日々を送っていた。
24年の9月頃になると食事も介助なしでは難しくなり、転倒の危険も増しているということで入院させるかどうかという話が出始めた。
相変わらず阿武山病院の担当医はこっちの話を聞かない感じだったが、レビーだと保険適用外の薬があるらしく、アルツハイマーの診断も出して薬を変えることになった。
そのせいかどうかは分からないが、睡眠状態もあまり良くないし、グループホーム側の負担も増えて何かあってから救急搬送するよりは…と入院の日程調整を模索する日々。
ただグループホームのスタッフさんもその状態で入院することのデメリットを心配してくれる人もおり、ひとまず入院は様子見で、12月から阿武山から別の病院に変えることにした。
別れ
12月の早朝、母からの着信で目が覚めた。
電話を取りそこねたらLINEが来ており「朝スタッフが起こしに行ったら呼吸しておらず、救急搬送された」とのこと。
慌てて会社を休んで実家に向かったが、電車に乗ってほどなく父が亡くなったという連絡が来た。
前日の夜まで特段変わった様子もなく、夜中に急性心不全で苦しむこともなく息を引き取ったらしい。
が、話はそれでは終わらなかった。亡くなったのは消灯後それほど経っていない時間。発見されたのは朝。
説明が二転三転したあと明らかになったのは、当直のスタッフが夜間の見回りをサボっていたということだった。
そこからは警察も登場するわ施設とも揉めるわでてんやわんや。まあ詳しくは書くまい。
不幸中の幸いだったのは当該スタッフ以外の施設職員は本当に良くしてくれていたことと、少なくとも父が苦しまなかったであろうことが分かったことか。
まあ遺族代表でバチ切れのやりとりはしましたけど。
葬儀は近所の人も呼ばず、親族と、駆けつけてくれたごく親しい数名の友人で済ませた。
四十九日と納骨には行ったが、初盆や一周忌は母がやるならやるで任せて、子供らは平常運転という感じ。
享年72歳、グループホームの他の入居者と親子ほど歳が違ったことを思えばあまりに早い気はするが、一方で理想の晩年であったようにも思う。
実家にもうちにも父の作った木工がたくさんあって、日常のふとしたタイミングで父の存在を感じることがある。
まあ特にオチもないが記録としてはこんなところだろうか。
























