天文台を過ぎて遺跡の端っこあたりまで行くと、聖なる石という巨大な石があった。これも後ろにあるヤナンティンという山の形を模して作られている模様。
そしてワイナピチュへ続く道も。一日400人の入場制限があるらしい。所要時間は2時間。ここからさらに登っていくのはなかなかハードそうだ。
下の方には列車が見える。これは乗ってきた路線とは違う、今は使われていない駅らしい。
結構疲れが出てきてひいひい言いながら歩いていると、天体観測の石がある場所に到着。
夏至と冬至の日に窓からこの石に向かって光が差し込むらしい。ちょうど夏至を少し過ぎたところだったので割と惜しいタイミングだったのだろうか。
奥の裏側まではどうなってるのか分からないが、こんな形にくり抜いてあるようだった。どうやって加工したんだろう。上の石をどけたら上は空いているんだろうか?
先ほどの日時計があった天文台。見る角度によってはかなり綺麗な三角形になっている。
続いてやってきたのはコンドルの神殿。これはコンドルの頭を模した石。
人がわらわらいて全体像は撮れなかったが、この頭の後ろに巨大な一対の岩があり、コンドルの翼を模した形になっている。
翼の片方の下部分。天然の岩を使い、下は地面から浮いた形になっている。どうやったらこんなもん作れるんだ。
左の方に隙間があり、今度はこちらを進んでいく。
コンドルの翼の上に出るとそこは処刑場。ガイドさんによると左右の穴に手を通した後に首を切り落とし、切り落とした首がコンドルの翼の上から頭の部分に落ちていくとのことだが、手を入れるにはかなり幅が広い気がする。ほかにも牢獄とかミイラの安置所とか色々な説があるらしい。
広場のようなところに出た。マチュピチュ発見当時はこのような木が生い茂っていたらしい。かつては数本残していたらしいが、あるときペルーの大統領がヘリでマチュピチュにやってくるということで、切ってしまったらしい。
お次は太陽の神殿。マチュピチュでもっとも美しい建物。
自然の岩の上に作られており、人と対比すると結構な大きさである。
何か文字が書かれている…と思ったら、探検隊が書いたものらしい。そういえばインカは文字を持たない文明だった。
手前が神官の部屋、奥が太陽の神殿の壁。神殿の石の方が圧倒的に凹凸もなく綺麗に作られているのが分かる。神官の部屋の壁も居住区などよりは綺麗で、重要な場所ほど綺麗な石を使っていた。
こちらは土が盛られた上に石が載っている?
実はこれ、マチュピチュ発見当時の様子をそのまま残してあるらしい。マチュピチュが忘れ去られてから再発見されるまでの数十年、土砂が降り積もり、屋根などは朽ち、石組みの壁も多くが崩れていた。それを現在に至るまで修復作業が続いているという。
まだまだ修復中の場所もあり、工事をしている人があちこち歩き回っていた。ちなみにワイナピチュの修復は完了しているらしい。
水くみ場。遺跡内には多数の水くみ場のようなところがあるが、ここは特に凝った造りになっている。
トンネル。
王の別荘と呼ばれる場所。一枚岩から何か出っ張りが出ているがこれは…?
こちらはなんとトイレ。ちゃんと個室になっている。
これがトイレの入り口。
ガイドさんによるとこれはすり鉢らしい。ガイドブックにはこれも天体観測の石と書かれていた。確かに作りは似ている気がする。
こちらも凝った造りの水くみ場。水の神殿だったのではないかとも言われているらしい。
植物もいろいろな種類がある。これだったか何かは、樹脂を膠のようにして石の固定に使っていたらしい。
そんなこんなで3時間ほどかけてマチュピチュを一周。これだけ圧倒的な景色を見ていると疲れも吹っ飛ぶ…といきたいところだが、さすがにだいぶ疲れた。それにしてもこれだけの遺跡を作り上げたインカの人たちの技術は素晴らしい。来てよかった。
雨はすっかり上がり、かなり汗ばむ陽気になっていた。またバスに乗り下山。寝てたか起きてたか、とにかく下山中の記憶はあまりない。
ちなみに、はてなフォトライフの容量を節約すべく、写真はやや小さめにして投稿してたのだが、マチュピチュ編を書いてる最中にどう頑張っても1日1エントリ更新には容量が足りないということに気づいたのでフォトライフの有料オプションを申し込んだ。とりえあず3GBあれば余裕な気がする。これでウユニまで綺麗な写真で提供できる。日記に載せてない写真もフォトライフにはちょくちょくあるのでよければそちらもどうぞ。
なお、オリジナルの写真が欲しいという奇特な方がいれば直接連絡くれれば差し上げます。