未知生、焉知死。

この本とかこの本とかこの辺とかこの辺とかを読みつつ、死生観というか、哲学というほどたいそうなもんでもないが色々考えてみたりする今日この頃。


少し前まで死に対してはそれ自体が怖いわけではなくて死に伴う苦痛が怖いという考え方だったのだが、キューブラーロスを読んでからはそうでもない気がしてきた。日々メディアを通して伝えられる死が感覚を麻痺させてるというか、そういったものに対するバーチャルな議論が無意識に実際の死を否定しているというか、書いててわけ分からん。

人の命は地球より重いなんていう言葉にしたって胡散臭いというか偽善くさい…と書こうとしたらこんなんが出てきた。ああなるほど、プロパガンダと他人の命というのが合わさると胡散臭くなるのか。

命の重さというのは結局は相対的なもんだと、地球のどっかで戦争で死んだとか災害で死んだとか、交通事故の死者が去年より減ったよかったねとか、今まで知りもしなかった老人が雪下ろしで屋根から落ちて死んだとか、広義で言ってしまえば殺人事件の被害者すら当事者以外にとっては俺の中ではバーチャルな死に分類される。

人の死生観がどうであれ実際のところ地球の裏側に住んでる人が俺の死を万が一知ることになったところで別に生活が変わるわけでもないし。

というわけで命の重みとか人間の価値というのは結局は関係性に付随するメリットとデメリットで決まるんじゃないか。もちろんここでいうメリットデメリットというのは他人をブラックボックスとしてみた場合の利害だけじゃなくて他人から主観的に見た自分の「自分性」というか、「俺ness」みたいなのも含む。

とかまぁ色々思うところがあるのだがあまり文章がまとまりそうもないので今日はこれくらいで。