思考の整理学 読んだよ

思考の整理学 (ちくま文庫)

外山滋比古は雑誌とかで読んで割と好きだったのだが本を買うのは初めてだった。
ちょっと比喩が多いところとかはなかなか読むのが面倒だったが内容は素晴らしい。最新の脳科学のような話を20年以上も前に経験的に知ってたというのはすごいなあ。朝飯前とか、セレンディピティとか。

興味深かったところをメモ書き程度に

p.37 寝させる
"三上"という語がある。その昔、中国に欧陽修という人が、文章を作るときに、優れた考えがよく浮ぶ三つの場所として、馬上、枕上、厠上をあげた。

p.63 アナロジー
ことばでも、流れと動きを感じるのは、ある速度で読んでいるときに限る。難解な文章、あるいは、辞書首っ引きの外国語などでは、部分がバラバラになって、意味が取りにくい。--(略)--
そういうわかりにくいところを、思い切って速く読んでみると、かえって、案外、よくわかったりする。残像が生きて、部分が全体にまとまりやすくなるためであろう。

p.95 つんどく法
一時的な博覧強記は知識の整理にとって大変有効である。--(略)--ただ、これをすぐ記録にしておかないと、強記した内容が消えてしまう。--(略)--しかし、いくら忘れようとしても、いくつかのことはいつまでも残る。
これはその人の深部の興味、関心へとつながっているからである。忘れてよいと思いながら、忘れられなかった知見によって、ひとりひとりの知的個性は形成される。

p.158 しゃべる
気心が知れていて、しかも、なるべく縁のうすいことをしている人が集まって、現実離れした話をすると、触媒作用による発見が期待できる。セレンディピティの着想も可能になる。

pp.218--220 「思われる」と「考える」
日本へ来たばかりのアメリカ人から、日本人は二言目には I think .... というが、そんなに思索的なのか、と質問されて、面食らったことがある。
--(略)--
つまり、日本人が「……と思います」と言い、英語でもうっかり I think とやっているのは、たとえば、「われ思う、ゆえにわれあり」(Cogito, ergo sum, [I think, therefore I am.])とは別のものであることを承知しなくてはならない。日本人が「と思う」というつもりで I think というとき、その第一人称には自分の責任においてという自覚はあまり認められない、としてよい。thinkにしてもしっかりした思考を打ち出そうとしているのではなく、むしろ、判断をぼかすためのベールのような役割を果している。