大前研一って実は初めて読んだ気がしないでもないな。もう半年近く前に買って積ん読してたのだが、読むべき時に読めた本だなと思った。
政治や社会の中で知、知識というよりも知恵、のようなものが衰退している。「満たされた、贅沢な、貧しい国」でどう生きていくべきか考えさせられる。
スモールハピネスについては自分自身少しハマってしまっていた感があって、ちょっとそういう思い込みというか認識を変える必要は感じた。
このコピペを思い出す。
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」
ここで半径3メートルしか考えなければ、どっちでも一緒やんという話になってしまう危険性がある。仕事はそこそこで、衣食住には困らず、趣味にかける金にもほぼ困らない。最低限手の届く範囲、見える範囲はハッピー。もちろん貧困や戦争があることは認識し、思考し、自分にできることはする。
それで満足か?
億万長者になるほどの金、マンハッタンにオフィスを構えるほどの地位、創出する雇用、そのプロセスで出会う人との関係、その人達のハッピー、すべてが必要なわけではないかもしれないが、その可能性を最初から捨てて、あるいは見ずにスモールハピネスで満足してていいのか?
「べき」論が適切かどうかはともかく、可能性は提示され、吟味された方がよりハッピーになれるような気もする。