思考の補助線 読んだよ

思考の補助線 (ちくま新書)
Natureinterfaceクオリア・テクニカを連載してると思ったら今度は週刊西洋絵画の巨匠にも連載開始しててどんだけ連載持っとんねんと思った。どこまで本人が書いてるかは知らんが。


TVやベストセラーなんかで見る当たり障りのない表現と比べて圧倒的に鋭く深い洞察で、生の講義に近い文章だった。クオリアに目覚めたエピソードとか、哲学的ゾンビの話とか、茂木さんのBlogとか他の本とかで見たような話も書いてあったが「世界全体を引き受けたい」というのは俺の思考を代弁しているような衝撃を受けた。

このような状況を招いた原因の一つが、知の専門化、多様化が進んだ点にあることは疑いない。どれほど胆力と知恵に富んだ人でも、人類の知的営み全体を見渡すことは叶わぬこととなった。
p.108

どれほあど卓越した記憶力と思考能力に恵まれた人間でも、現代の知の諸分野を一人でカバーすることなどありえない。
p.119

程度の差はともかく、こういう志向性は確かにある。本なんて読めば読むほど知りたいことが増えていくし、工学から医学、自然科学から自然哲学、哲学、そして文学、経済も気になる。これも

自分の志望する大学に入ったくらいで知の探求をやめてしまうような人は、もともと情熱の総量が足りない。(中略)「理系」「文系」などというくだらない腑分けにこだわっているいうちはまだ、情熱の程度が低い。そもそも、学部で卒業したとして、長い生涯のうちたった四年間に何をしたかということだけで、自分の一生の知的志向性が決まるとでもいうのか。
p.12

「文系」「理系」などという人為的な枠組みを知的怠惰のいいわけとして援用することがまかり通るこの国ではあるが、(以下略)
p.112

もし、人為的な学問区分に自分をあてはめるがゆえにそんな隘路に追い込まれているとしたら、なんともったいないことだろう。
p.13

なんていう表現にものすごく共感する。
ニーチェヴィトゲンシュタインも読みたい。人類が築き上げた知的営為を知りたいという思いはあるが、単なる収集やインデクス付けはGoogleがやってる。それでも無から有は作り出せないわけで、総合的知性の関係性や有機的な結合による創造性はしばらくは人間の専売特許であり続けるんじゃないかなという楽観はしているのだが。


本書の一番最後、「貧者の一灯」という節も興味深い話が詰め込まれていた。