益川敏英教授 講演会

岡崎市市民公開講座・第88回分子科学フォーラムノーベル賞物理学者の益川さんが講演するというので午後休を取って行ってきた。


会場の岡崎市民会館周辺は大渋滞だったが無事に駐車。
市民公開講座ということで近所のおばちゃんっぽい人もいたが始まって間もなく落ちてた。何しに来たんだ。
あと城西高校とか岡崎西高校とかの学生がぞろぞろ来てたが授業の一環だろうか。


齢70歳、Wikipediaの写真は風格溢れる感じだが、生だとパッと見ふつうのおじいちゃんのような感じ。話し方も穏やかだった。

というわけでタイトルは「フラフラのすすめ」

要約すると、最初からこれだと決めてかかるのではなく、広い視野を持ち、その時点時点で最高のものを求めていけばよいということ。最初は憧れで良い。次が実践。そして自分の目標が決まればするべきことは分かる。
益川さん自身は高校へ行くときは特に何も考えず、その後坂田モデルを知り、科学が19世紀までにヨーロッパでできあがったものという意識を覆され、研究室訪問なんかをやりだしたらしい。

科学とは

こうすればこうなる、という必然性の洞察。
「自由」という言葉がある。明治時代にできた言葉とされるが、「自由」という言葉が本質を規定しているわけではない。矩を踰えずというのが大事で、自由だからといって何をしても良いというわけではない。
同様に科学も、人類に対してより多くの自由を準備するもの。

100年

科学知識は基礎的であるほど普遍性が高いが、役に立つようになるまで100年はかかる。
クーロンとアンペールの功績をMaxwellが定式化したのが1864年、それがレーダ応用のために導波管のマッチング設計などで使われるようになったのが1940年頃、TVとかになると1960年頃。
素粒子物理学も今何の役に立つのかと聞かれたら何の役にも立たない。
理論は技術があってはじめて役に立つ。父親が電気工学の教授でも壊れたテレビを直せるわけではない。

科学の巨大化、科学的態度

レントゲンがX線を発見したとき、実験はせいぜい畳1畳程度のスペースでできたが、現代の素粒子物理学で使う加速器は直径30km。科学の巨大化は科学の必然でもある。
しかし科学は進歩するほどよそよそしくもなる。これを益川流には労働疎外をもじって「科学疎外」といっている。科学がよそよそしくなるとエセ科学が蔓延する。
たとえば心霊写真。坊さんが写真を見たとたんに「これは背後霊じゃ!」というのは科学的態度ではない。そのような写真になるありとあらゆる可能性を検証する。
たとえばトップクォークの検出。検出器がとらえたシグナルの不完全性から不完全となりうる可能性を計算し、いくつのトップクォークがあるかを予言する。可能性を一つづつ潰していく、肯定のための否定のプロセスが必要。
不完全な中から学問の特徴や個性を見いだし、普遍的なものは何かを見極める。


井の中の蛙は井戸の外に出されて外の世界を知る。井戸の外にも世界があるというところからさらに別の世界があるのではないか、という推測の手がかりを得るのが科学。
ヘーゲル弁証法でいう概念の自己運動。

基礎的な勉強の必要性

エジソンの失敗。
エジソンは直流が便利だという考えのもとに直流電圧を売る電力会社を立ち上げたが、当時は変圧がより簡単で、P=IV^2から電圧を上げて損失の少ない送電が可能な交流に負けて会社は潰れた。
科学が高度化してくると工夫では済まなくなる。


科学館で子供たちが作った作品に対するコメント。
これは科学遊びでしかない。その心は、興味を持つのは結構なことだが、きちんと基礎の勉強をし、先人の蓄積を身につけないと科学というアクティビティには到達できない。

科学と戦争

科学者は科学知識を身につけるだけでは必然的に平和主義者にはならない。科学知識と市民感覚が必要。
ベトナム戦争において、アメリカのジェイソン機関は科学者を集め、戦争を有効に効率的に進める方法について議論させた。精神動員により科学者は戦争に無関係とはいえなくなった。
これに対抗するものを市民が行い、市民の中で科学者が何らかの意思表示をすることが必要。科学者が市民の中に入ることが重要。

21世紀の科学

20世紀は物理の世紀だった。21世紀は生命科学の世紀になると思う。DNAのセントラルドグマが解明される。


科学的態度、広い視野、基礎の蓄積の重要性について、という印象が強かった。早く情熱をもてる目標を見つけろ、というのはフラフラとはちょっと違うような気もしないでもないが、T字型人間あるいはπ字型人間とかそういうのをイメージすると近いのだろうか。
感心したり、自分に当てはめて考えてみたりとなかなか意義深い講演だった。