ネットの常識、トラックバックの意義とは?

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ネットのメリットは匿名・オープンであることであり、掲示板やBlogのメリットは議論のプロセスが分かること、それが後々残ることであると考えられる。また匿名であるがゆえ、その内容の信憑性などは自称の肩書きや権威とは無関係で、論理の一貫性や現実と照らし合わせた内容や読む側の自己責任で判断されるべきものである。それゆえBlogや掲示板に書き込む際は感情的になっていないか、プライバシーや著作権の侵害などが無いかを十分に吟味する必要がある。


次にトラックバックであるが、昔のWebサイトではそれぞれの管理者が承諾しあって相互リンクするという方法でしか、言及した記事とされた記事の両方を読者が見ることができなかった。それをBlogというメディアで相手側の手を煩わせることなくお互いのページにリンクを張り、読者が双方を読めるようにするという仕組みである。
場合によってはトラックバックせずに内容を批判されると「陰口」などと言い出す人もいるが、基本的にBlog管理者や読者のコミュニケーションを活性化させる良い手段であると考えられる。


以上は私見も含むが、一般的なネットの常識とそれほどかけ離れているものではないと考えている。


で、この件に関しても当初はそんな意志を持ってトラックバックを行ったり記事を書いたりしていたのだが、あまりにも支援者の暴走っぷりが激しいのでトラックバックはやめることにした。
以下に支援者のBlogに書き込まれた「反論」のコメントを全文引用しつつツッコミを加えていく。

アマゾンのレビュー、その方の書いたものを全て読んでみましたが、まぁ、なんというか、出来うる限りスルーした方が良いような気がしています。
うつ病の治療法が「確立」しているなら、現在これほど困った状態の人々がいるはずがないわけで、まぁ、現実を見れば明らかなことに反対意見の議論を仕掛けて悦に入るタイプだと思っています。
「しぶとい」と言うより、ネット上の議論は結局不毛であることがおおく、特にメンタル系で客観数値による根拠を求めることが困難なテーマにおいて学説がらみの議論にはいると、時間の無駄になると思います。
分が悪くなればいくらでも逃げが効く議論になるからです。
トラックバックは削除、アマゾンのレビューもスルー。それが最善であるように思います。売れている本にはたいていネガティブな
とんでもないレビューがついていたりします。それでも良書は評価されつづけます。なぜなら、読んだ人自身がそれぞれ判断するからです。

鬱病の現状については上のエントリで触れたので割愛する。
メンタル系で客観的数値による根拠を求めにくいとあるが、鬱病の尺度であればDSMなど臨床的に多く用いられている手段によって点数化できるし、学説絡みも何も、まともな病院でまともな診断を受けたのであれば患者が意識しているかどうかはともかく、DSMなどを用いられているはずである。
本当に俺のレビューなどが的外れならわざわざAmazonに苦情を送るまでもなく、正しい内容を書いたレビューをAmazonに書き、俺のことは完全にスルーし、Amazonの「正しい」レビューが評価されるのを待てば良いだけである。
まあAmazonのレビューを見る限り、1ヶ月ほど経った今も新しいレビューも投稿されていないし、俺の書いたレビューもそれなりの好評をいただいているようだが。

野口先生からのメールで、今回の件に関する細かな経緯を知りました。悪質トラックバックの削除で逆上し、攻撃性を増してきたとのこと。基本的にスルーする方針ではらちがあかず、このような結果になってしまったとのこと。本当に困った人物だと改めて思った次第です。

現在の制度では、ネットでトラブルがあった場合、その個人を特定し現実世界で法的措置に訴えるためには、それが「犯罪行為」であることが必要です。明らかな「犯罪行為」にならないと、警察が動きません。そして、警察が動かないと、個人情報保護法のためにプロバイダやその他サービス提供者は情報を開示しません。

さらに、匿名性が保たれたままでの論戦は、死人が平気で蘇る不毛な争いに発展することが多いのです。論破された方は、別人を装い何度でもまた論点をすり替えて同じことをしてきます。

一つ前のコメントであれだけスルーを強調してたのに見事に話を本の内容からネットや法律の話にすり替えてくるあたり、俺に直接反論する余地が無いのが見え見えであるように思う。
「論戦」に関しては以下で、法律に関しては別エントリで述べる。

本来「論戦」といえるようなレベルであるなら、そういうことにはならないのですが、あえて「論戦」と表現したのは、そのようなことをする相手は、たいてい「論戦」であると思っているからです。

たとえば、今回の件、「うつな人ほど強くなれる」のレビューの内容、これはかなりの矛盾点が含まれています。うつ病の治療法やケアが「確立されている」と断言していますが、まず、それが現実とはかけ離れた点です。DMS等を引き合いに出して批判していますが、そもそもDMSとはなんであるのか、その発展経緯がどのようなものであり、また、現在日本の精神医学の臨床の現場においてどこまでそれが受け入れられているのか、よくわかっていないのではなかろうかとすら思えます。

俺もこれが「論戦」であるとは思っていない。コメント欄に支援者から書き込まれた「野口敬 氏支援」以外、野口敬 氏やその支援者からの「本書の内容についての矛盾点の具体的な反論」が全くないからである。相手方もトラックバックを削除したり名誉毀損だとか騒いでおり、感情抜きで内容の正確性について議論を行う姿勢ではない。また、野口敬 氏からのメールの返信でも

拙著に対し全面的に共感できない方がいらっしゃるのは明らかな事実です。
そして、社会的な基本ルールに基づき誠実に問うてこられる方に対しては、当然誠意をもってお答えすべきなのが本社会における「信義即」であると認識いたしております。
しかしながら、今回事件のごとく社会的な基本ルールを逸脱した場合においてはその限りではないことをご了解ください。

とあり、とりあえず疑問にたいする回答をする意志も何も無いことが分かる。

たとえばこのような「反論」を彼のブログに書き込んだとします。

そうなると、そのような人物は、ネット検索で様々な情報をひたすらあつめ、さらなる自説の補強を試み、延々と意味のないやりとりが続くことになるように思っています。

反論というより単純に疑問に答えてくれれば良かったのだが…といっても今となっては当初の「本の内容について」の話などしてくれる状況ではなさそうだが。

今回の件に関しては、まず相手が野口先生の著書を、レビューを書くほどよく読んでいないことが、そのレビューから明らかであるように私は思っています。

それ故、私自身もアマゾンに対し「悪質なレビューである」旨の報告を、その著書の内容との相違点を列記し送りたいと思います。

本当に困ったものだと思います。

ただ、忘れてはいけないのは、相手のブログに反論を書き込む行為、これは実は相手が求めている行為であると言うことです。相手は議論をしたくてうずうずしています。そして時間もあることでしょう。何とも困ったものだと思います。

現実世界で、名前と顔がわかる状態で戦うには、「犯罪行為」であることを明確にしなくてはいけません。そのためには、著書の売り上げを「悪質な手段で意図的に妨害している」ことを客観的に示す、この方向で行くことが、手間と時間はかかっても、論戦をするよりは短時間で解決する方法ではなかろうかと思っています。

なぜ相違点をAmazonのレビューに書き込むのではなく、Amazon本体に削除してくれと送るのかが分からない。
そして内輪Blogで言いたいだけ言って反論の余地も与えない人物と俺とどっちが困ったものなんだか。学校裏サイトみたいなやり口ですね。
法的問題については先と同様に別エントリで触れる。